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「新薬開発で沖縄経済を刺激」週刊ほーむぷらざ「タイムス住宅新聞社提供」

週刊ほーむぷらざ:2005年03月10日

 

奥キヌ子  レキオファーマ 株式会社 代表取締役社長

 

新薬開発で沖縄経済を刺激

先日、「ジャパン・ベンチャー・アウォード 2004」で最高賞に当たる経済産業大臣表彰を受けた奥キヌ子さん。15年余にわたる研究開発の末、切除手術を要しない痔の治療薬を完成させたことが評価された。
「沖縄に産業を興したいとの一念で打ち込んできました。小さな島からでも、夢をあきらめなければ実現できるんだということを伝えたい」
今月末の販売開始を目前に、これまでの思いを振り返ってもらった。

 

「この島に産業を興したい−」 中国薬と出会い新薬開発へ

2月14日、「ジャパン・ベンチャー・アウォード」の受賞により、沖縄の小さな薬品開発会社、レキオファーマ代表、奥キヌ子さんの名が全国に知れ渡った。痔の治療新薬の開発に取り組んで15年余−。果敢に挑戦し続け、開発成功、販売にこぎ着けたことが評価された。
「新薬開発は何万分の一の成功率といわれる狭き門。だからこそ、やる価値があった」と語る奥さん。しかし、実は彼女、薬品に関してはまったくの門外漢。
「戦後の世変わりを目の当たりにして育ったせいか、ずっと沖縄の自立を模索してきました。私の胸にあったのは、“沖縄に産業を興したい”との思いだけ」
復帰運動の最中に学生時代を送り、基地に依存した地元経済を見つめてきた彼女。「沖縄の将来を案じずにはいられない環境」で起業家精神が芽生えていった。
「私の出身地糸満は、女性がごく自然に商いをしている土地柄。照屋敏子さんなど、同郷の大先輩の存在も刺激となり、起業への思いが募ったかも」
まず彼女が着手したのは、東南アジア貿易。台湾留学の体験を元にヤシ類の亜熱帯植物の輸入販売を開始した。
「改めて振り返ると、私の目には、沖縄が緑の少ない荒廃した土地に映ったんです。緑が増えれば、土地も人の心も、そして経済も潤うに違いない思った」
しかし、壁に直面。
「植物や果実を育てる広い土地、品種改良に携わる研究者の不足問題が浮き彫りに」

 

“あきらめない”で前進

それでもあきらめず、代わりの産業を模索。そんな折、先輩が中国から持ち帰った痔の薬と出会う。 「説明を聞いた瞬間に“これだ”と直感。日本での発売を目指し、製品化に着手しました。起業分野が薬品だったのは偶然。沖縄経済を活性できるものなら、何でもよかったんです。」「今度こそ行ける。」と歓喜した彼女。でも、それは長い研究開発のスタート地点に立っただけだった。

 

自ら試験管を振り実験参加 素人の強みを生かして行動

1991年、医薬品開発会社を設立、専務取締役に就任した。しかし船出直後、入手した原薬は時間が経つと沈殿物が生じると判明。「“原薬の改良は好ましくない”との意見もありました。でも、ヒトに使用する医薬品なので、より安全で安定性の高い製品にする必要があると考えたんです」
専門家に意見を請い、自らも試験管を振って研究に没頭。
「従来はありえない薬品同士の配合なので、開発は困難を極めました。でも、手術より体に負担が少ない、投薬による治療を選ぶ患者の方が多いはずだ、との確信だけが支えでした」
自ら積極的に動き、実証を積み重ねていく彼女の姿勢に、周囲も次第に感化され研究が続けられた。
「薬品なら付加価値も高い。離島県沖縄で製造しても、アンプルなら軽量で流通コストを抑えられる。うってつけの製品だと思うと研究に拍車がかかった」
その一方、すべての工程を沖縄で行いたいのと願いを縮小せざるをえない事態もあった。
「試作品は完成したものの、治験にはさらに莫大な費用がかかる。やむなく経験ある機関へ任せることに」
信頼できるパートナー探しに2年以上も費やすなど、こだわりは捨てなかった。こうして昨年7月、新薬の開発ではベンチャー初となる厚生労働省の認可を受けた。今月末には販売開始を控えている。
「今度は企業の認知度を高め、次なる新薬開発に着手することが目標です。製薬工場を沖縄に建てることもあきらめていませんよ」
「海人の老人にマレーシアやシンガポールの話をあたかも近所の出来事のように聞いて育ったため、世界は近いという意識がある。沖縄発の企業として羽ばたきたい」
幼少の思い出を糧として、目標めがけ前進してきた彼女。
「素人でも、夢をあきらめなければ、時間がかかっても歩み続ければ実現することができるんです。多くの人が勇気を持って進めば、沖縄はもっと元気になるはず」と、静かにほほ笑んだ。(平良 真弓)